紀州藩が参勤交代で宿泊の【信達宿本陣跡】泉南野田藤まつりの藤棚近く

参勤交代の信達宿 観光

大阪・泉南市にある【信達宿(しんだちじゅく)本陣跡 角谷家】特別公開。

紀州街道本陣跡の特別公開

江戸時代 家光が制度化した「参勤交代」の折に 紀州徳川家(徳川御三家)が泊まった本陣(角谷家)。

紀州(現在 和歌山)のお殿様が「参勤交代」で江戸へ向かう初日の1泊目に泊まる大事な宿だったそうです。


場所は4月下旬にぎわう『梶本家の藤棚』より北へ200メートルに位置しますので、藤棚とともに【信達宿本陣跡】は必見の価値あり😙

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それでは、写真とともに【信達宿本陣跡 角谷家】を紹介します。

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¥100の入館料【信達宿本陣跡】

紀州街道にある【信達宿本陣跡】。

【信達宿本陣跡 角谷(つのや)家】グーグルマップ。

紀州街道は[熊野街道(くまのかいどう)]とも呼ばれており、熊野詣でもにぎわいのあった道。

その紀州街道に ドーンと立派な「長屋門」ですが、当時は勝手門でした。
紀州街道・信達宿長屋門
(紀州街道・信達宿の長屋門)

【信達宿本陣跡】の入館料は¥100って、なんとも ステキ~ヽ(*’0’*)ツ 

さぁ スマホ片手の平成時代。
門をくぐると・・・風情のある、落ち着いた景色がお出迎えしてくれます。
信達宿(角谷家)

とっても良心的な料金ですが、見どころがたくさんありましたよ。

【信達宿本陣跡 角谷家】屋敷内様子

靴をぬいで上がりますと、広い続いた和室があります。

大阪・泉南の信達宿
(オレンジの服のかたは、説明ガイドさん)

和室には、角谷家の家宝などが置いてあり 間近で鑑賞ができます。

また 歴史が苦手でも ボランティアの説明ガイドさんが数人おられ、気軽に質問もできるので なんとか理解できます(*v.v)。 笑。

泉南・信達宿の角谷家

御三家・紀州徳川家の参勤交代は、この角谷(つのや)家本陣で1泊し 江戸まで各宿を 合計14泊して到着しました。

今現在は 屋敷全てが残っているわけではありません。

とはいえ、なかなかの見ごたえある建物☆

その一つに トイレ便器が[伊万里焼(いまりやき)]で作られてました!

伊万里焼のトイレ

廊下の隅っこにあった[信達宿内のトイレ]ですが・・・

こんな貼り紙が 書いてありました。

“ このトイレは使用できませんが、伊万里焼の便器が使われていますので、覗いてみてください。 ”

ハイハイ~、さっそく覗いて確認しました 笑。

信達宿の伊万里焼トイレ

わ~!白い便器のトイレではなく、まさに芸術な伊万里焼の便器ですね~(*゚▽゚ノノ゙

ちなみに[伊万里焼(いまりやき)]とは、佐賀県有田一帯で産する 日本で最初の磁器。

伊万里港を経て販売されたので、この名前だとか。

屋敷内も和室のまわりには、廊下があり たいへん素晴らしいのですが、外の日本庭園も美しかった。

信達宿の庭園

どこに立っても、どこから見ても 落ち着きのある風景。

泉南・信達宿の日本庭園

さて、屋敷内に戻りまして 様々な調度品や家宝も展示ありましたので、紹介します。

【信達宿本陣跡 角谷家】の家宝や調度品など

【信達宿本陣跡 角谷家】には、紀州公ゆかりの調度品。

八代将軍吉宗が、当時13歳のとき 紀州藩時代の宿札(関札)も展示してありました。

元禄十二年 紀州藩時代「吉宗の関札」と「徳川家光老中・堀田加賀守正盛の関札」。
信達宿・吉宗の関札

泊まるたびに、このような宿札を掲げました(1泊限りの札なのです)。

吉宗の宿札(関札)は、木製で厚みが3センチ。

堀田加賀守正盛の関札は、厚みが1センチということで、財力や格の違いを表していたと思います。

(※ 左下・遊行上人の関札は厚手の和紙でしたが、本陣に宿泊できることがスゴイので、遊行上人もスゴイのです!)

角谷家の自家用駕籠(カゴ)も展示 (*^ ・^)

信達宿の嫁入り駕籠

こちらの駕籠(かご)は、【信達宿本陣 角谷家】の自家用カゴ。

カゴの内部には カワイイ花柄の紙が使ってあるので、女性用で嫁入り駕籠として使用。

江戸時代に駕籠に乗るということは、やはりゴージャス!

しかも「自家用カゴ」ですぞ。。。。

カゴ内も撮影しましたが、暗くて見えづらいでしょうか。

江戸時代の嫁入り駕籠
(背もたれと肘掛け、そして前方にはお茶置きプチテーブルも設置!)

リアルに見ると、案外とカゴの中はせまく感じますが、お茶も飲めるなんて、最高ですねー。

【信達宿本陣 角谷家】のピクニックセット☆

信達宿の角谷家の外居(ほかい)

↑ 外居(ほかい)と書かれていますが、江戸時代に角谷家が外でご飯を食べる、ピクニックへ行くときの道具。

(なかなか優雅ですなぁ)

左から、餅などを入れる外居(ほかい)、真ん中がフィンガーボール、右端がお酒と肴を入れる器です。

家宝の[紀州徳川家・葵御紋重箱]

紀州徳川家・葵御紋重箱
(材は桑の木)

明治4年(1871年)十一月、紀州から江戸に行かれる、最後の紀州藩主十四代、中納言茂承(もちつぐ)公の御簾中[伏見宮邦家親王の娘で、倫宮則子(みちのみや、のりこ)様を、御止宿の折に葵御紋重箱を拝領したと書かれています。

紀州藩も無くなり、もう来ることが無いので これまでのお礼だったのでしょうか。

【信達宿本陣 角谷家】のは 右とありますから、左という重箱は、他の本陣に贈られているのかも。

その当時、則子様が、神社の境内の椿を詠まれた歌の掛軸も、残されています。

ずべて 写真撮影はOKだったのですが、いやはや 多くの素晴らしい歴史ある物ばかりで、紹介しきれないほど (*^.^*)

ほかにも 約1,500人とも伝わる大名行列の宿割をはじめ 当時をイメージできる貴重な古文書も多く保存されてました☆

そうなんです!参勤交代での大名行列の人数が すごいでしょ!

1,500人を1泊させてしまうって、それだけの「宿泊場所」も必要です。

「参勤交代」って、ホント大きなイベントだったのでしょうね♪

「参勤交代」は宿場の大行事

御三家の紀州藩では、十一代藩主・斉順(なりゆき)公の時代 一度に約四千人が宿泊したそうです。

(※ 天保12年1月12日の江戸参府、十一代藩主斉順(なりゆき)公の行列は、上級家臣203人 下級家臣1436人 人足2337人 馬103疋の大行列であった)

「参勤交代」の費用も莫大でした(千両箱が幾つも、必要だったそうな)。


そんな大人数ですから、大名行列を泊めるということは、経済の動く宿場最大のイベントでした。

御家来衆は 数軒あった旅籠も含めて、宿場の街道筋の民家に分宿をします。

その宿の手配等を、抜かりのないようにするのも本陣役で、角谷家の仕事でした。

信達宿の宿割
(宿割の表)

御三家の紀州藩は、参勤交代で江戸へ行くまでに「14連泊」の道中。

1日で歩く距離は 約40キロ程度でした。

夜が明けると さっそく歩き、お昼休憩と小休憩が2回位。

それ以外の時間は、ずっと徒歩を続けました。。。((◎д◎ ))

宿泊する本陣では、部屋を貸すだけで すべてお殿様は食器・鍋釜、布団、食材、料理人など自前でした。

つまり、ご飯の用意はしなくても良かったそうです。

【信達宿本陣 角谷家】では、年に一回だけの紀州藩 参勤交代・大名行列でしたので 忙しく無かったと思います。

しかし 東海道の本陣では、日替わりで 様々な大名が着きますから、日程や宿泊場所など大変だったと思われます。

4000人もの人数の行列が歩く「参勤交代」。

今ではイメージできませんが、紀州街道【信達宿本陣跡 角谷家】では 年に1度の「参勤交代」で大名行列が見られたなんて、ロマンを感じます。

●紀州街道(信達宿)本陣跡の特別公開
2019年は4月21・22日の予定

午前9時~午後5時まで

入館料100円(パンフレット代金含む)

藤棚の季節とともに、期間限定公開ですので よければ観光へ行ってみてくださいね (^ε^)♪

(駐車場は ↓ こちらへ停めてね!)

以上「紀州藩が参勤交代で宿泊の【信達宿本陣跡】は必見!~泉南・藤まつりの藤棚近くです~」を skyneiro( スカイネイロ )がお送りしました~♪

( ※ 画像は クリックすれば拡大。 CLOSEを押せば戻ります )

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